聖地巡礼・東御廻い (あがりうまーい)

東御廻い (あがりうまーい)イメージ
 琉球の祖神として語り継がれるアマミキヨが久高島に降り、本島各地を回ったことにちなんで御嶽が祀られました。
東御廻り(あがりうまーい)」はその霊地を中心に、琉球国王ゆかりの場所などを加えた14箇所を巡拝する行事のことを言います。
琉球国王の巡礼がその原型で、王国安泰・五穀豊穣を祈願する行事が行われたらしく、民間へも広がり巡礼の旅へとなっていきました。 その後、国王の巡礼は廃止されましたが、国の祭祀を司る最高神職・聞得大君の東御周りは長く続けられました。
首里の園比屋武御嶽(すぬひゃんうたき)を出発し、佐敷の拝所を経て知念に入り、斎場御嶽(せーふぁうたき)、から玉城までという行程で計14の聖地を巡ります。 最近ではパワースポットがブームと言うこともあり、観光もかねて巡拝する方も増えてきているようで、車なら一日で回ることも可能です。
園比屋武御嶽
園比屋武御嶽アイコン
首里城守礼門近く、石門の背後にある森が園比屋武御嶽。琉球王が旅に出る時に必ず拝礼した場所で、聞得大君が就任する時にも最初に拝礼した聖地でした。
御殿山
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天女が舞い降りたと言われ、聞得大君即位儀礼には仮御殿が造られ、聖水の儀式・御水撫でを行なった。久高島参詣の発着地でもあり、ここから久高島へ渡った。
親川 
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御殿山に舞い降りた天女が出産して、ここ親川の水を産井に使ったと伝えられています。 聞得大君の御新下りのとき霊力を得る儀式が行なわれたました。
場天御嶽
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イビの森といわれる森に、尚巴志の祖父・佐銘川大主の居住跡。そして彼が拝む対象としていたらしい御天坐神などが祭られている尚氏ゆかりの場所です。
月代グスク(月代宮)
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初代の琉球国王となった尚 巴志とその父、尚 思紹の居城跡とされているグスク。佐敷グスクとも言う。月代宮は明治時代に尚父子を含む八体を合祀した。
テダ御川
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テダ(太陽)神がここに降臨したと伝えらる湧水の出る場所。国王や聞得大君が久高島参拝の無事をノロたちが航路安全を祈願したということです。
斎場御嶽
斎場御嶽アイコン
琉球開開闢七御嶽のひとつで、聞得大君の即位儀礼・御新下りが行われ、長い間男子禁制でした。世界遺産にも認定されている東御廻り最高の聖地です。
知念城跡
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沖縄最古の歌謡集おもろさうしにもうたわれた古いグスク。城内に友利之嶽があり、東御廻りの聖地のひとつ。アマミキヨが住んでいたと言う説もあります。
知念大川
知念大川アイコン
沖縄の歴史書、中山世鑑にアマミキヨが知念大川の後にある田と玉城の受水走水に稲を蒔いたとされています。知念大川の水源は後ろの崖下にある湧泉です。
受水張水
受水張水アイコン
琉球国由来記によると、琉球始祖アマミキヨが海の向こうにある理想郷ニライカナイから稲の種を持ってきて、受水走水に植えたと言われています。
ヤハラツカサ
百名の浜にある拝所。アマミキヨが沖縄本島に降り立った最初の地とのいわれています。石碑は満潮時には海中に没し干潮時には歩いて行くことも可能。
浜川御嶽
琉球祖神のアマミキヨがヤハラツカサに上陸してから、しばらくの間ここを仮住まいしていたと言われる場所。ちなみに浜川とは海に近い湧き水のこと。
ミントングスク
ミントングスクアイコン
ヤハラヅカサに上陸したアマミキヨは浜川御嶽に仮住まいをしていましたが、やがてこのミントングスクを築き、ここに住み着いたといわれています。
玉城城跡
玉城城跡アイコン
別名アマツヅ城。年代や城主については不明。「島尻郡誌」では、アマミキヨが築いた城であると言う伝説が。城内には、あまつぎの御嶽が祀られています。


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