辺戸岬

復帰前は、一番日本に近い所でした。

沖縄が沖縄県になることを切望した場所でもあります。
辺戸岬全景
 沖縄本島最北端の辺戸岬に近づくと、途中畑にコスモスが一面に咲いている所が。沖縄では秋だけでなく、場所によっては春先から見られます。
車をお土産屋やレストハウスが並ぶ前の広い駐車場にとめて、海に近い所まで行きます。
 
  辺戸岬は沖縄が日本に復帰する前には、一番日本に近い場所でした。 日本の与論島まで約22Km。 すぐ近くですが、1972年に復帰するまでは北緯27度が国境だったのです。
祖国復帰を願い人々は辺戸岬の広場で集会を開き、夜には篝火を焚いて、同じように沖縄の日本復帰を願う篝火を焚く与論島の人々と呼応し合ったという話です。
海の向こうに見える与論島の島影  そして1972年、沖縄は日本に復帰することができました。復帰を記念して立てられたのが、祖国復帰闘争碑です。
  この日は記念碑の傍に立つと、はるか海の向こうに小さくですがはっきりと与論島の島影が見えていました。 この記念碑に書かれている文は、私の心に残るものでした。このページの一番下に碑の写真と読み取った文を書いておきます
  このあたりの山の中には、沖縄に初めて神が下ったと言われる神聖な辺戸御嶽などや、ユタが修行する祈りの場所などもあり、興味深いものがあります。



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  ところで、駐車場に戻ると海と反対側の山の中腹に巨大なヤンバルクイナを模した物が見えます。
これに関しては、 別ページでご紹介します。
辺戸のコスモス畑
辺戸岬売店と駐車場 辺戸岬・祖国復帰闘争碑
辺戸の御嶽で祈る人
交通 那覇空港から約124km
(沖縄高速利用で約150分)
駐車場 有り・無料
施設 休憩所・レストハウス・売店・トイレ
住所
問合せ先
沖縄県国頭郡国頭村字辺戸
国頭村役場 0980-41-2101
国頭村オフィシャルサイト
祖国復帰闘争碑
  全国のそして世界の友人に贈る。
吹き渡る風の音に耳を傾けよ。権力に抗し復帰をなしとげた大衆の乾杯だ。
打ち寄せる波濤の響きを聞け。戦争を拒み平和と人間開放を闘う大衆の叫びだ。
鉄の暴風やみ平和のおとずれを信じた沖縄県民は、米軍占領に引き続き、一九五二年四月二十八日サンフランシスコ「平和」条約第三条により、屈辱的な米国支配の鉄鎖に繋がれた。
米国の支配は傲慢で県民の自由と人権を蹂躙した。
祖国日本は海の彼方に遠く、沖縄県民の声はむなしく消えた。われわれの闘いは蟷螂の斧に擬せられた。
しかし独立と平和を闘う世界の人々との連帯あることを信じ、全国民に呼びかけて、全世界の人々に訴えた。
見よ、平和にたたずまう宜名真の里から、二十七度線を断つ小舟は船出し、舷々相寄り勝利を誓う大海上大会に発展したのだ。
今踏まれている土こそ、辺土区民の真心によって成る沖天の大焚き火の大地なのだ。
一九七二年五月十五日、沖縄の祖国復帰は実現した。
しかし県民の平和の願いは叶えられず、日米国家権力の恣意のまま軍事強化に逆用された。
しかるが故にこの碑は、喜びを表明するためにあるのではなく、まして勝利を記念するためにあるのでもない。
闘いを振り返り、大衆を信じ合い、自らの力を確かめ合い、決意を新たにし合うためにこそあり、
人類が永遠に生存し、生きとし生けるものが自然の摂理のもとに生きながらえ得るために警鐘を鳴らさんとしてある。
祖国復帰闘争碑碑文
 と言う事で色々有りますが、記念碑が建てられてから多くの年月が流れ過ぎていった今、書かれている事がより生き生きと現状を表して警鐘を鳴らし続けている事を考える時、その何十年かの間に日本は沖縄に対してどのような姿勢をとり続けてきたのか、沖縄県民はどうだったのかを真摯に問われている気がしました。


関連情報:ひめゆり平和祈念資料館 平和祈念公園 旧海軍司令部壕

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