識名園2・沖縄の世界遺産
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識名園イメージ

育徳泉

識名園の風景 少し戻って木々に遮られた少し薄暗い順路を行くと、森から出て視界がひらけます。 右には池がありますが、それに沿う形で左に行くと、すぐに石垣で囲われた立派な井戸が左手にあります。井戸口からは透明度の高い水が溢れ出していました。識名園の育徳泉 石組みの上の段には石碑がおかれていて、右が1800年尚温王の冊封正使趙文楷が題した育徳泉碑。左は、1838年に尚育王の冊封正使林鴻年が題した「甘醴延齢碑」です。

御殿(ウドゥン)

識名園の御殿 育徳泉から少しだけ行った場所に、識名園の中心である御殿があります。琉球王国当時の上級階級が住んでいた民家のような造りで、約159坪の赤瓦木造の平屋。   家の周りを板張りの廊下が囲んでいます。   池に面している一番座、二番座、三番座、張り出して作られている前の一番座などは、夏でも風が通りそうな造りで快適に過ごせたに違いありません。   赤瓦ではありますが中に入ってみると、他県の昔の家の雰囲気と似ているところがたくさんあって、なんだか懐かしい気持ちもします。   廊下までは自由に上がることができ、余裕があったら廊下に腰をかけて庭園を眺めながら、のんびりとした時間を過ごすのもお薦め。   周囲には季節を感じさせる植物なども数は多くありませんが植えられていて、1月の白梅、2月の寒緋桜などはなかなかの見物です。識名園御殿内部

石橋

識名園の石橋 御殿からでて池を渡る道を行くとアーチ状の石橋が二つ掛かっています。手前のものは整形されていない石で組まれていて、奥のものは綺麗に加工された石が組まれています。 橋を渡りきったあたりから見る御殿の建物の美しい屋根が並んでいる様子を見ることができ、池の水面に映りとても綺麗。

六角堂

 左に順路通り進むと池に突き出したような小島があり、アーチ状の橋を渡っていくと、六角堂という建物があります。  少し反り返り気味の屋根はいかにも中国風ですが、以前はこの場所に普通の東屋が立っていたようで、堂内には古い写真と一書に以下のような興味深い文が書かれていました。  
六角堂については、明治時代までは四角の入母屋づくりの建物であったことが写真資料からわかっていますが、一体いつから「六角」になったのか、よくわかっていません。このほど、大正5年4月29日付けの琉球新報記事から、その時点までは「四角」であったことが確認できました。(六角堂内展示より抜粋)
識名園の六角堂

滝口

識名園の滝口 六角堂から戻りそのまま進むと、池を半周して出口に向かってしまいます。と言うことで、来た道を戻るのが順路。
小さな丘を通り過ぎていくと、左手に滝口といわれる場所があります。ちょっと見落としがちですが是非寄ってみて下さい。 池から溢れ出る水を石の掛樋から落下させている場所なのですが、適当な高さもあり小さな滝のように流れ落ちています。 手前から下に降りられる道はあるのですが、現在は残念ながら通行禁止。 滝壷付近は絶好の暑さしのぎの場所だったと思います。

船揚場

識名園の舟揚場 続いて通るのが、池で舟遊びをした時に船を揚げる場所です。

観耕台

観耕台  少し奥に進むと左手に東屋があり視界が開けています。
眼下に町並みが広がり、一休みには調度良い場所。 石碑が横にありますが、尚育王の冊封正使林鴻年によるもので、手入れの行き届いた田畑を見て王が心から人々を励ましているとたたえたのです。これも戦争で破損したため、1980年に拓本から復元したものです。
ここからの景色は全く海が見えません。外国からの使節に小さな島国であると思われないような配慮があったからだと言われています。

番屋

識名園の番屋 一周りして出口に近づいてきますが、最初に通りすぎた番屋があります。こじんまりした森の中の一軒家と言う感じ。
内部は綺麗な板張りになっていて、なんか今でも快適に住めそうな感じです。 識名園番屋外観 識名園番屋外観 最後に果樹園といわれる植物がいっぱい植えられた広場を回り込んで出口に出ます。

識名園の金糸竹

識名園の金糸竹  途中に所々濃い緑色の縞模様のついた竹が何本も植わっています。金糸竹(キンシチク)といわれる種類みたいで、他県ではあまり見かけない種類の竹でした。

 首里城から約1.4キロしか離れていないこの場所はとても静かな環境で、首里城観光においでの時には是非時間をとって立ち寄ってみてください。  
琉球王国華やかなりし頃の一面を垣間見ることが出来る場所だと思います。

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