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慶留間小中学校
慶留間島の学校 幼稚園から中学校まで一緒になった慶留間小中学校は、最近新校舎が完成して立派なものになりました。 校庭から階段を下りると、すぐにケラマブルーの海。 勿論生徒たちもこの海で泳いで遊ぶ事があるようです。 慶良間の離島の中でも一番素朴で離島らしさを残しているこの島で、自然の中で学習したり遊んだり出来る学校。 私が子供だったら、こんな島の学校に通いたかったなーと思いながら、しばらく眺めていました。
機銃掃射の跡
機銃掃射の跡が残る塀機銃掃射の跡が残る塀2

集落の中に、昔のコンクリート塀が残る路地があります。米軍機の機銃掃射によると思われる沢山の弾痕が今でも残っています。
これでもわかるように、米軍の攻撃により逃げ場を失った住民は山の中に逃げ込みましたが、50人以上の方々が集団死に追いやられ尊い命を無くしたと言う悲しい歴史が有る島でもあります。

関連情報:伊江島/慶良間の沖縄戦/
米軍上陸
慶留間島の平和祈念碑
米軍が日本領土に始めて上陸した地慶留間島に乗せましたが、慶留間大橋を渡り外地島についたところの左側にある記念碑です。
太平洋戦争で、日本国土で初めて米軍が上陸した場所だという事で、ここを拠点に沖縄本島にまで戦端を広げる事になりました。
慶留間島の中の伊江島
伊江村民収容地跡記念碑碑文1945年、アメリカ軍は伊江島に上陸して占領し、住民を捕虜としました。伊江島には日本軍の滑走路が3本建設されつつあったので、米軍はその年の5月に住民を戦闘の終わった座間味、渡嘉敷の両村に移送して、基地の充実を図ったようです。以来昭和21年までの間、伊江島住民は両村に住む事になりました。集落の入り口にあるその50周年記念の碑です。



史跡というと、どうしても大戦の事にふれるようになります。
この島も多くの被害にあいました。離島になればなるほど、その爪痕も未だに残っています。
もう二度と武力による争いが無い世の中になりますように。

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