奥武山公園・沖宮・世持神社
Oonoyama Park,Okiguu,Yomochi-Shrine

沖縄イメージ

奥武山公園には3つの神社があります。

奥武山公園駅 セルラースタジアム  モノレールの奥武山公園前駅を降りるとすぐ目の前が広い敷地で、那覇祭り、那覇マラソン、沖縄産業祭りなどのイベントで有名な奥武山公園です。 とても目立つ沖縄セルラースタジアム、武道館、陸上競技場、プール、テニスコートなど、各施設が広い敷地にてんてんと有り、木々の緑も豊富で那覇の中心に近いとは思えないのんびりとした空間を作っています。
子供達のために長い滑り台などの遊戯施設も整い、その一角はいつ行っても子供達の笑い声が聞こえてきます。
奥武山公園の遊戯施設  でも、奥武山公園はそれだけの所ではありません。 安里八幡宮、波上宮、天久宮、末吉宮、識名宮、普天間宮、金武宮などと並んで古くから沖縄の人たちに親しまれている琉球八社の一つである沖宮や、農業や商売の神様である世持神社、初詣でも有名な護国神社などの神聖な場所も敷地内にあります。

世持神社

世持神社外観世持神社の祭壇  私が世持神社に行った時には年に一回の大祭が終わったばかりで、大勢の神主さんと巫女さん、それに信徒の方々が帰り支度をしているところでした。 お宮さんの中を覗いてみると、神様の他にも大日如来を始めとした仏様も祀られていて、典型的な沖縄のお宮さんです。
沖縄では、明治以降の廃仏毀釈運動にもかかわらず、神仏習合と言われる神祇信仰と仏教信仰が混淆して再構成されている例を多々みかけられます。
世持神社の由来
 沖縄の偉人を祀りろうと、1934年に沖縄県知事を会長とする「神社創立期成会」が結成され、野國総官、儀間真常、祭温の三名を祭神として建設することを決定。1937年には「世持神社」(うちなー口で世を支える)が創建されました。 野國総官は中国より唐芋(サツマイモ)を持ち帰り、儀間真常はこれを広めて沖縄中に普及させた人。おかげで食糧不足が緩和されたということです。祭温は中国へ留学し、地理・風水を学んで三司官(大臣)に就任。国王を補佐し、土木や政治にも精通し第二次琉球王国の黄金時代をもたらした。



 
そして沖宮を案内する印に沿って進んでいくと小高い丘をのぼり、飛び込み用プールの横を通ると沖宮の横に出られます。→

沖宮は琉球八社の一つです。

沖宮沖宮神殿内部沖縄琉球八社の一つで、ここでは最も歴史のある歴史ある沖宮。
沖宮の由来
 「琉球国由来記」の沖山縁起によると、15世紀頃に海中より光輝ある枯木を拾い、熊野権現の霊木として神社と寺をつくり霊木を奉祀したとあります。 航海安全、国家安泰、五穀豊穣などを願う宮として、もっと海よりに造られていたようですが、明治の終わり頃に那覇港工事のために安里に遷座。 昭和10年には国宝に指定されましたが、第2次世界大戦でそこも消失してしまい、神示により奥武山の現在の地に昭和36年に御遷座されたそうです。 天受久女龍宮王御神が主神ですが、これは天照大神の事と解釈。 ほかに天龍大御神、天久神乙女王御神、熊野三神も祭られています。
沖宮にある仏壇 裏の方には不動明王を祭った祠と聖観音、不動明王などの諸仏を祭った建物も有り、ここも神仏両方を祭る宮としての形をとっていました。
そこから少し行くと池の周りに出て、売店もあり一休みできるようになっています。  

護国神社

 でも、現在この公園の中で一番大きい神社は歴史ある沖宮ではなくて、少し戻ったところにある護国神社。
護国神社の由来
 戦没者を祭って昭和15年に内務大臣指定護国神社としてできましたが戦火のために焼失、靖国神社より沖縄戦に殉じた本土出身者の御霊代を奉移して昭和40年頃に現在の形になりました。

結婚式なども執り行われ、初詣の神社としても波之上宮とともに元旦は人の波に包まれます。
交通 那覇空港から自動車で約5分
ユイレール奥武山公園前からすぐ
駐車場 有ります
交通 那覇空港から自動車で約5分
ユイレール奥武山公園前からすぐ
管理・連絡先 奥武山公園運営管理事務所沖縄県那覇市奥武山町52
TEL:098-858-2700
オフィシャルサイト 奥武山公園
オフィシャルサイト2 護国神社


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