屋良ムルチ

大蛇伝説が残る静かな池です。

亜熱帯の植物に囲まれた池は、とても静かです。
 58号線を嘉手納ロータリーから胡差に向って進むと、左手に「道の駅かでな」があります。
道路を挟んで向かいが嘉手納基地に隣接する俗称「安保の丘」と呼ばれる小さな丘があり、現在も基地を間近で見る事ができますが、一望するということでは道の駅屋上のほうが上かもしれません。
道の駅かでな
  そこから少しだけ先に行ったあたりの左手を気をつけながら進むと、歩道の向こうに写真のような案内板が立っている所があります。
そこから下に階段を20段くらい下りると、あたりは亜熱帯の植物で覆われた別世界のような空間。
正面に広がる池は緑色ににごり、いかにも何かが澄んでいそうな雰囲気です。
  ヤマタノオロチ伝説をはじめ、各地に大蛇伝説が言い伝えられていますが、そのの多くは大蛇の怒りを納めるために、生贄を捧げるくだりがあったりしますが、この屋良ムルチも同系列の伝説が伝わっています。
屋良ムルチの大蛇伝説

   比謝川の中流に、流が大きく曲がっていてU字型に広くなった所があります。
瞬天王統三代目の王である義本の時代(概ね1350年くらい)、屋良漏池(屋良ムルチ)と呼ばれるこの池に大蛇が住んでいて、暴風を起こしたりして住民に禍をおよぼしていました。
村の人達は、少女を生贄としてささげ、禍を沈める習慣がありました。

 ある年、非常に親孝行な娘が生贄に選ばれ、彼女は周辺の村の人達を救えるのならと年老いた母を残してそれを受け入れる覚悟をします。
生贄の儀式がはじまり、娘が大蛇に身を捧げようとしたときに、天から突然神が現れて大蛇を退治してくれました。
それで、娘は無事に村に帰る事ができました。
 後にこれを聞いた義本王はとても喜び、この娘を王子の妃として向え入れ、娘は母と一緒に幸せに暮らしたそうです。

この話は中山伝信録にも書かれ、これを題材とした組踊りが玉城朝薫により作られて、現在でも有名な五演目の一つ「孝行之巻」 になっています。

※この場所は、以前現在の倍くらいの広さがあったそうですが、大戦後に米軍基地拡張工事のために約半分が埋め立てられてしまい、現在の形になったそうです。

屋良ムルチ入口屋良ムルチに向う階段屋良ムルチ正面の祭壇屋良ムルチの湖水

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屋良ムルチのパノラマ写真

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