壺屋やちむん通り
Yachimun Street

壺屋やちむん通りにはぜひ一度行ってみてください。

やちむん通り風景1 沖縄の目抜き通りである国際通りから市場に向かう平和通り。その先に壺屋のやちむん通りと呼ばれる一帯があります。  この付近に来ると街中の喧騒が静まり、緑も増えて両側に大小さまざまな焼物屋さんが店を並べた石畳の道にでます。 (やちむんとは沖縄の方言で陶器のことをさします。)
なぜここに焼物やさんが集まったかということは最後にふれておりますが、約300年余の歴史あるこのエリアは独特の雰囲気をかもし出しています。 

壺屋焼博物館

壺屋焼博物館  
この道の市場側入口付近には那覇市立壺屋焼博物館があり、沖縄の陶器に関して解り易い説明と、それに関する品々を見ることが出来ます。もちろん壺屋の焼き物の歴史も詳しく解説されています。
交通 那覇空港から5,4km約14分 ユイレール牧志駅~ 徒歩約12分
駐車場 無料3台・周辺に有料駐車場有り
利用料通 大人 315円大学・高校生 210 円 中学生以下 105 円
開館 10:00~18:00 休館日:月曜日 12月28日~翌年1月4日
住所・問合せ先 沖縄県那覇市壺屋1-9-32 那覇市立壺屋焼物博物館
TEL : 098-862-3762
オフィシャルサイト

壺屋の登り窯(フェーヌカマ) そこから近いところに南釜(フェーヌカマ)と呼ばれている荒焼用の登り窯があり、県の有形文化財に指定されています。
ここの手前には同じ名前の陶器も販売している喫茶店が一軒。喫茶フェーヌカマ
壺屋の陶器
※ところで壺屋焼は荒焼(アラヤチ)と上焼(ジョーヤチ)に分けることができます。 荒焼は無釉又はマンガン釉を掛け、多くは素焼きを経ずに焼かれて酒甕、水甕など大きなものが多く、上焼は一度素焼きされたものに釉薬を施して食器、酒器など比較的小さいものが多く、現代陶器の主流です。 

やちむん通りのお店やちむん通りのお店の店内そのままやちむん通りを行くと、やがてお店がある間隔が狭くなり、軒を並べるようになると国道330号(ひめゆり通り)のマクドナルドのあたりに出ます。→

いしまち通り

ここでひとつお勧めしたいのが途中の路地を左に入る「いしまち通り」。 細い路地ですが帰りはこちらからどうぞ。那覇のいしまち通り うちなー茶屋ぶくぶく 路地を入るとすぐに重要文化財に指定されている新垣家。 上焼用の登窯(東ヌ窯)が少し奥まったところにあり、母屋や作業所など昔の伝統的な壺屋陶工の住宅形式を唯一残している家です。
道なりに左に折れていくと、角に「うちなー茶屋ぶくぶく」が(※下に説明ページへのリンクあり。)。一見すると普通の住宅ですが、玄関先に小さな看板があるのですぐに解ります。
この通りは距離は短く、やちむん通りに沿ったような短い裏通りですが、車が簡単に通れないくらいの細さ。 そのためか一昔前の沖縄の雰囲気を残しています。喫茶店「すーじ小」 ぶらぶら歩いていくと、右に育陶園というお店の窯と陶芸の体験が出来るお店があり、その先には「すーじ小」という茶屋がすこし高いところに道を見下ろすように建っています。 ここもとても雰囲気がよさそうなお店。 そのまま先を道なりに左に折れると、またやちむん通りに戻ることが出来ます。 やちむん通り風景2
那覇の国際通り、公設市場と見て回ったら、もう少しだけ時間をとってこの壺屋やちむん通り界隈まで足を伸ばすことをお勧めしたいです。
ちょっとだけ昔にタイムスリップしたような感覚が味わえるし、素敵な陶器のお土産にもめぐり合えるかも知れません。
関連情報 国際通り 牧志公設市場 うちなー茶屋
ぶくぶく
壺屋の歴史
 昔琉球王朝は交易が盛んで、その時渡ってきたのが南蛮焼と呼ばれる陶器。やがて琉球でもその技術を学び焼き始め、時の尚貞王は1682年に美里村の知花、首里の宝口、那覇の湧田にあった窯場を那覇市壺屋に集め、陶器産業振興を図はかりました。これが壺屋焼の始まりです。
その後薩摩にいた朝鮮陶工らの技術も取り込み、壺屋焼は琉球一の窯場として国内消費は勿論、外国との交易にも貢献するほどになったのです。

 明治から昭和初期、有田などから安い陶磁器が大量に入るようになり壺屋焼は危機を迎えますが、民芸運動の第一人者であった柳宗悦、浜田庄司らが来沖して、後に県初の人間国宝にもなった金城次郎氏や新垣栄三郎氏らを指導して技術を高めていきます。それを民芸陶器として東京などにも情報発信し、壺屋焼の人気もあがりました。 大戦で沖縄全土はダメージを受けますが壺屋は比較的戦災を免れ、再興によって徐々に元通りになります。

しかし周囲が市街地のために薪窯による煙害が深刻な問題となり、那覇市は公害対策のため薪窯を禁止、伝統的技法をが使えず壺屋焼は岐路に立たされます。そこで周辺に良質な陶土が豊富な読谷村が窯元の積極的な誘致を行い、金城次郎氏を初め多くの陶芸家たちが壺屋から読谷村に移りました。 現在では「読谷やちむんの里」として多くの人々に知られはじめてきましたが、ここ壺屋にも多くの窯元が残り、この一角が壺屋やちむん通りと呼ばれるようになりました。
壺屋焼きの焼き物 壺屋焼き(右は人間国宝故金城次郎氏の作品・左は店頭のシーサー各種)


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