交通 | 那覇空港から5,4km約14分 ユイレール牧志駅~ 徒歩約12分 |
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駐車場 | 無料3台・周辺に有料駐車場有り |
利用料通 | 大人 315円大学・高校生 210 円 中学生以下 105 円 |
開館 | 10:00~18:00 休館日:月曜日 12月28日~翌年1月4日 |
住所・問合せ先 | 沖縄県那覇市壺屋1-9-32
那覇市立壺屋焼物博物館 TEL : 098-862-3762 オフィシャルサイト |
壺屋の陶器 | ||
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※ところで壺屋焼は荒焼(アラヤチ)と上焼(ジョーヤチ)に分けることができます。 荒焼は無釉又はマンガン釉を掛け、多くは素焼きを経ずに焼かれて酒甕、水甕など大きなものが多く、上焼は一度素焼きされたものに釉薬を施して食器、酒器など比較的小さいものが多く、現代陶器の主流です。 |
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関連情報 | 国際通り | 牧志公設市場 | うちなー茶屋 ぶくぶく |
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壺屋の歴史 | ||
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昔琉球王朝は交易が盛んで、その時渡ってきたのが南蛮焼と呼ばれる陶器。やがて琉球でもその技術を学び焼き始め、時の尚貞王は1682年に美里村の知花、首里の宝口、那覇の湧田にあった窯場を那覇市壺屋に集め、陶器産業振興を図はかりました。これが壺屋焼の始まりです。 その後薩摩にいた朝鮮陶工らの技術も取り込み、壺屋焼は琉球一の窯場として国内消費は勿論、外国との交易にも貢献するほどになったのです。 明治から昭和初期、有田などから安い陶磁器が大量に入るようになり壺屋焼は危機を迎えますが、民芸運動の第一人者であった柳宗悦、浜田庄司らが来沖して、後に県初の人間国宝にもなった金城次郎氏や新垣栄三郎氏らを指導して技術を高めていきます。それを民芸陶器として東京などにも情報発信し、壺屋焼の人気もあがりました。 大戦で沖縄全土はダメージを受けますが壺屋は比較的戦災を免れ、再興によって徐々に元通りになります。 しかし周囲が市街地のために薪窯による煙害が深刻な問題となり、那覇市は公害対策のため薪窯を禁止、伝統的技法をが使えず壺屋焼は岐路に立たされます。そこで周辺に良質な陶土が豊富な読谷村が窯元の積極的な誘致を行い、金城次郎氏を初め多くの陶芸家たちが壺屋から読谷村に移りました。 現在では「読谷やちむんの里」として多くの人々に知られはじめてきましたが、ここ壺屋にも多くの窯元が残り、この一角が壺屋やちむん通りと呼ばれるようになりました。 |
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